
本記事で記録している「ハヤテ(HAYATE)」は、現在は上岡颯(かみおかはやて)として活動する社会人アスリートです。幼少期から始めた打撃格闘技では、全国大会での複数回の入賞に加え、全日本選手権準優勝2回、JOC強化指定選手としても選出され、国際大会JapanOPENでは4連覇(V4)を達成しました。これらの競技育成は、父である上岡岳が家庭での父親としてだけでなく、生物学学芸員として筋肉構造を理解し、フィジカルトレーナーとしても長年にわたり指導してきた結果に基づくものです。現在は打撃競技からフィジーク競技に転向し、実戦で培った身体操作と科学的トレーニングをもとに競技を継続するとともに、当サイトGLINTの次世代監修者(トレーニング技術・競技経験担当)として解説や監修にも携わっています。本戦闘記録は、上岡颯が「ハヤテ」として歩んできた10年以上の育成・挑戦・成長の軌跡を、当時のままの呼称でまとめたものです。
記事本文
小学生最後の年は、全日本ジュニアで戦績が残せなかったものの、JapanOpen国際二連覇、愛知県王者、東日本王者とまずまずの戦績で中学生になったハヤテでした。
中学生最初の試合は三連覇のかかるJapanOpen国際となりました。
中学生からは学年別でなく、1~3年生混合で体重で階級分けとなるシステムなので、上級生の壁は厳しいかと考え臨みました。
予想外に快進撃し決勝に進むことになりましたが、決勝では決まったはずのハイキックが加点してもらえず、不可解な敗退……王者陥落となりました。
アウェーの試合の厳しさを思い知りました。

ゴールデンウィークには地元イベントのリングに上がることになりました。対戦相手は別階級の愛知県王者……愛知県王者同士の一戦となりました。

結果は、接戦を制したハヤテがリング戦初勝利でした。
その年は忙しく、初夏にはU12の代表として韓国の春川(チュンチョン)で開催された、世界最大規模のOpen国際大会に出場しました。
彼にとって初めて背中に日の丸を入れての戦い……感慨深かったのを覚えています。
そして、この試合はハヤテにとって初めての父親のいない場所での戦いでもありました。
渡航したチームからの連絡で、現地の食料供給が追いつかず、試合までの48時間をおにぎり一個で臨むとのことで、妻と二人日本で涙しました。
残っている動画はメダルマッチ・準々決勝のものだけですが、まるで飢えた獣のように開催国・韓国代表選手を下し、海外国際大会で初のメダル奪取となりました。


