
2010/ 9/12 15:45
本記事で記録している「ハヤテ(HAYATE)」は、現在は上岡颯(かみおかはやて)として活動する社会人アスリートです。幼少期から始めた打撃格闘技では、全国大会での複数回の入賞に加え、全日本選手権準優勝2回、JOC強化指定選手としても選出され、国際大会JapanOPENでは4連覇(V4)を達成しました。これらの競技育成は、父である上岡岳が家庭での父親としてだけでなく、生物学学芸員として筋肉構造を理解し、フィジカルトレーナーとしても長年にわたり指導してきた結果に基づくものです。現在は打撃競技からフィジーク競技に転向し、実戦で培った身体操作と科学的トレーニングをもとに競技を継続するとともに、当サイトGLINTの次世代監修者(トレーニング技術・競技経験担当)として解説や監修にも携わっています。本戦闘記録は、上岡颯が「ハヤテ」として歩んできた10年以上の育成・挑戦・成長の軌跡を、当時のままの呼称でまとめたものです。
記事本文
小学校6年生になり、春のJapan Open国際二連覇、愛知県選手権優勝と無敗で小学校最後の全日本ジュニアをむかえたハヤテでした。
もちろん、トーナメント最下段のトップシード、防具は全試合「赤」……とガチガチの優勝候補でした。
準々決勝までは無難に勝ち上がりましたが、メダルマッチ対戦相手は170cm近い超大型選手でした。
小学生は体重階級分けがないゆえの、体重差1.5倍の戦いになりました。
序盤こそステップを使ってリードしたものの、一発もらうたびに効いてしまい、最後は後ろ回し蹴りで人生初のダウンを奪われたハヤテでした。
その苦しそうな様子は、撮影していた妻も思わずズームアウトしてしまうほどでした。
僕も、セコンド席で「もう立つな」と思いましたが、ラスト数秒で立ち上がり、逆転の左ハイを撃ったハヤテ……届かず敗退となりました。
戦後、トップクラスからオールロストに突き落とされた失意のハヤテを元気づけようと東日本選手権に参戦することを決めました。
名古屋から夜行バスで往復という強行軍でした。
決勝で、これまた超大型選手に苦しめられながらも優勝しました。

主催の福島協会から「遠いところまで来てくれてありがとう」と大会MVPをいただき、嬉しかったのを覚えています。
「また来年もきます」……震災などがあり、まだ、その約束が果たせてないのが心残りです。

