上岡岳の戦闘記録|60歳マスターズでの競技復帰への記録(From FUTAMI to the WORLD)

当サイト運営者であり、国際連盟IFA正規販売代理店・世界協会IPF公認品正規販売代理店の代表である、上岡岳(本記事執筆時:2026年6月18日時点で55歳)は、10年間の引退生活を終わり、2030年IFA世界アームレスリング選手権でのメダル奪取を目標に、競技者として再び身体を作りなおし、極めて純粋な戦闘空間に戻ることに決めました。
筆者の主な戦歴は以下です。
1997三重県75kg級優勝
2000三重県85kg級優勝
2006全日本社会人選手権85kg超級2位
2007アジア選手権85kg級5位
2011全日本マスターズ80kg超級2位
2011アジア選手権マスターズ90kg級3位
2014全日本マスターズ90kg級3位
職業としては以下の通りです。
主収入:MazurenkoJapan経営(起業10年目)
副収入:会社員(設備担当次長|勤続32年)
無報酬:団体常任理事(一般社団法人JAWA)
なぜ戦ったのか、なぜ戦いを降りたのか、なぜ再び戦うのか
なぜ戦ったのか

もともと筆者は高校生・大学生と筋トレ好きで、それぞれの学校施設のジムで鍛えてきました。大卒後、就職にともない、現在の居住地である伊勢市に引っ越し、地元で通うことにしたジムが偶然、アームレスリング三重県連盟本部でした。
そこで、アームレスリングと出会い、日本代表になると決め競技に打ち込んできました。全国区で成績を残せるようになるには、かなりの時間がかかりましたが、2006年・2011年・2014年に公式のカテゴリー別全日本選手権でメダルを奪取し、日本代表として10年弱、世界選手権やアジア選手権に出場しました。

その過程で、息子である上岡颯が生まれ、打撃格闘競技に取り組み始めました。彼は武家の直系17代目であるためか、戦いの血が濃く流れており、幼少期から父である筆者をはるかに超える戦績を残しました。
なぜ戦ったのか?
はじめは自分のため、そして息子に背中をみせるため、最後は息子の戦いに惹かれ、競技を続けてきたのだと思います。
※上岡家は江戸期より土佐清水地域の庄屋を務め、伊能忠敬測量時には本陣を提供した記録が残る家系です。現在も市史資料として保存されています。
なぜ戦いを降りたのか

筆者はアジア選手権のメダル奪取後、その経歴や競技界での人脈を活かし、トレーニング用品輸入代理店であるマズレンコ製作所日本正規輸入代理店(MazurenkoJapan)を開業しました。
息子である上岡颯も、全日本選手権の2度目のメダル奪取後、競技引退をしました。
このような流れの中で、起業から事業安定化の忙しさ、息子の現役引退という精神的支柱の終焉があり、いつしか競技から降り、やがて、トレーニングすら全くせずに5年以上が経過しました。
なぜ再び戦うのか

当然、5年も全くトレーニングもせず食べたい放題なわけですから、体重も100kgを超え、競技者としての筋力も失われ、現状はただの太った中年男性です。
人間、55歳の節目を迎えると、「どう人生を終えるのか」を考え始めます。そして、それは自分は何者なのか?の究極の問いでもあります。
僕自身、社会的に多くの顔を持っており、どれが本当の自分なのか?
わからなくなる時も少なくありません。
設備担当次長としての会社員の顔、でもこれは65歳で何も残らず消えます。
一般社団法人JAWAの常任理事(監査役)としての顔、これはいずれ後進に道を譲ります。
MazurenkoJapan代表としての顔、これはやがて息子に継承されます。
結局、僕が最期に在りたいのは、日本代表アームレスラー(できれば世界メダリスト)です。
もう一つ、結婚した息子にはやがて子ができるでしょう、その子は武家の直系18代目として息子同様に「戦の子(いくさのこ)」としてこの世に命を授かると思います。
その孫に、戦うとは何か?なんのために戦うのか?といったことを見せたいという気持ちもあります。
なぜ記録を残すのか

本記事の最初にも貼りましたが、「ウジャトの目」、これが現在の、そして60歳で挑む世界選手権に至る道中での僕のシンボルです。
意味は、再生・復活・完成です。
世の中には、若いころに一所懸命に競技を頑張り、でも社会人として日常に飲まれ、やがて競技から離れ、中高年になり、ふと「残りの人生をどう生きるか?」と考え、僕と同じ結論に至る方も少なくはないと思います。
そのようなみなさんの参考になればと、僕の競技復活の食事・トレーニングの記録を残すことにしました。
